札幌新生教会第6代牧師
伊藤 馨 著『恩寵あふるる記』第一巻より
【昭和二十年】
妻の日記によれば
四月七日、苗穂に面会に行く、
「指は(手の)悉く凍傷の跡だらけである」
と記されている、そして、
四月二十二日、苗穂より通信あり(四月九日発信)
「栄養もとれず、ただ天命をまつのみ…」
と記されている。
妻の日記は四月末にて終りとなり、その後のものは失われて、さがし出せずにいる。
この通信を見て、妻は急いで面会に来たようである。その日ははっきりせぬ。
面会人のあるときは、軍隊のいう一層服というべき面会着(長衣)がある、それには綿がうんと入っていて我々の「かいまき」以上のもので、裾もながくまさに長衣である。
それは、お上では、あまりに寒そうにしているのを面会人に見せては、心配せらるるであろうからと、誰かのご配慮か知れぬが、それを着かえさせられて面会室に出されるのである。
四月末でも寒く冷い、しかも我身の体の熱も失せて寒々としている私が、その「みえ」というか「同情」というか、そのために面会時間が十分か十五分のために着換えさせらるる「ほんにかなわんことですわい」
これは面会毎に出る口上である。
着換して面会所に出ると、妻は、火のない室に、ながながとまたせられていた。私を見るなり、頭の上から足のつま先までジロジロと見るのである。
「あいそも、何もつきはてる」
ことであろうと、ふと思われるのは、私の今の醜怪きわまりない面貌である。
「おハガキを見ましたら、天命をまつなんてありますから、どうした事かと心配で参りましたよ…」
「そうか有難う、事実、そうなんだよ、もういけぬようだね」
「何をおっしゃるのです、皆がどんなに心配してお祈りしているか、Sさんなど、男泣きに泣いてお祈りしていて下さるんですよ、それを自分からダメだなんていっていてはお祈りしている人々に申訳ありませんよ、その人々のためにもがんばらなくては…」
と、注意されたのである。私は見事に叱りとばされたのである。
私も、これまで幾度となく、そう考えたしまた、そう決定していたのである。しかし今の私は力がつきたのであった。
妻には私の足がどうなっているか、膝頭が、腿が、どうなっているか、知る由もない、ただ醜くなっている顔面、鼻、耳、指さきだけを見ている位のものである。
「うむ、そうだね、祈り直すか…」
これで面会がおわって、舎房にかえり、またまた冷えきったジャンパーに着換し、そして監房に入って、祈り直すことにした。
もう、あきらめというか、放棄というのか、なり行きにまかせる…という所から、もう一度立ち直って主を見上げる。
「我、山にむかいて目をあぐ、
我助けはいづこより来るや、我助けは、
天地をつくりたまえるエホバより来る」
(後略)