メッセージ 2022年10月〜12月


20221225日 礼拝 岡田順一牧師

「信仰による安らぎ」ルカによる福音書 22238

「主よ、今こそあなたはお言葉どおり この僕を安らかに去らせてくださいます。私はこの目であなたの救いを見たからです。」(ルカによる福音書 2:2930

 

①神を待ち望む人の賛美。

「慰められるのを待ち望み…主が遣わすメシアを見るまでは死ぬことはない、とのお告げを聖霊から受けていた。」(2526) 主は救い主の誕生によって慰められることを待ち望んでいたシメオンをそれが実現するまで守られました。私たちもこの一年、神を待ち望み守られたことを感謝しましょう。

 

②神に出会った人の賛美。

「私はこの目であなたの救いを見たからです。」シメオンは祈りの答えとして救い主に会い、救い主に目が開かれました。全人類の救い主として(31) 光をもたらす救い主として(32) 信じる者は救われることを定めるお方として(34)

 

③信仰による安らぎ。

「この僕を安らかに去らせてくださいます。」シメオンは救い主と会い、御国に凱旋する確信を得ました。それは彼が神の「お言葉どおり」(29) に生きてきたからです。私たちも新年、お言葉どおりに歩むなら主は必ず祝福してくださいます。


20221218日 クリスマス礼拝 岡田順一牧師

「慈しみ深い神」ルカによる福音書 14655

「その慈しみは代々限りなく 主を畏れる者に及びます。…慈しみを忘れず その僕イスラエルを助けてくださいました。」(ルカによる福音書1:50,54

 

マリアの賛歌を通してクリスマスの感謝と喜びを学びましょう。

 

①神の慈しみへの感謝。

「その慈しみは代々限り…慈しみを忘れず」(50,54) 神の慈しみとは可愛そうに思い、その思いを誠実に実行する愛です。神は私たちを慈しみ、独り子をこの世に遣わして救いを実行してくださいました。キリストは五千人以上の人々を慈しみ、養いました。一人のサマリアの女を慈しみ、孤独から解放されました。私にも注がれている神の慈しみに感謝しましょう。

 

②生き方を変える神への感謝。

第一にマリアは社会観が変えられました。「主は…思い上がる者を追い散らし 権力ある者をその座から引き降ろし 低い者を高く上げ」(5152) マリアは自らを「私は主の仕え女」(38) と呼びました。第二に経済観の変化です。「飢えた人を良い物で満たし」(53) 飢えた人とは心の貧しい人、神を必要とする人です。変えてくださる神に感謝しましょう。


20221211日 アドベント第三主日礼拝 岡田順一牧師

「クリスマスの恵み」ヨハネによる福音書 31621

「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。御子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」(ヨハネによる福音書3:16

 

①信仰によって救われる恵み。

「御子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るため」罪人が救われる唯一の条件はイエス・キリストを救い主として信じることだけです。「神が御子を世に遣わされたのは…御子によって世が救われるためである。」(17)

 

②信じる者は裁かれない恵み。

「御子を信じる者は裁かれない。信じない者はすでに裁かれている。」(18)「裁き」とは分離することです。光と闇の分離です。救い主を信じることによって闇に対して勝利することができます。しかし信じないなら、いつまでも闇の中を歩む人生となります。それが地上における裁きです。

 

③光の中を歩み続ける恵み。

「真理を行う者は光の方に来る。」(21) 主イエスは「私は…真理であり」(14:6) と言われました。真理を行う者とは、主イエスを愛する人です。主を愛し、そのお言葉を信じ、実行する人こそ光の中を歩み続けることができます。


2022124日 アドベント第二主日礼拝 岡田順一牧師

「クリスマスの目的」ヨハネによる福音書 31621

「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。御子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」(ヨハネによる福音書3:16

 

①滅びないためのクリスマス。

「一人も滅びないで」ここに父なる神が独り子であるイエス・キリストをこの世に遣わされたクリスマスの消極的目的があります。「滅びる」という言葉は「我と我が身を見失う」という意味があります。神を抜きにして自分だけを基準にして生きることこそ、自分の歩むべき正しい道を見失った罪人の姿です。その行き着く所は永遠の滅びです。その人間を救うためのクリスマスです。救い主という絶対的原点を信じることによって自分を見失わない人生を歩むことができるのです。

 

②永遠の命に生きるためのクリスマス。

「永遠の命を得るためである。」ここにクリスマスの積極的目的があります。永遠の命は、やがて死んだ後に備えられている天の御国のための命というだけでなく、この地上にあっても神と共に生きる命です。神が常に共にいて、信じる私たちを助け、養い、導いてくださいます。


20221127日 アドベント第一主日礼拝 岡田順一牧師

「愛するためのクリスマス」ヨハネによる福音書 31621

「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。御子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」(ヨハネによる福音書3:16

 

①神の救いの計画。

「新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」(3) 神の国を見るという救いのために新生の恵みが必要です。「誰でも水と霊とから生まれなければ、神の国に入ることはできない。」(5) 新生するために受洗が必要です。「人の子も上げられねばならない。」(14) 受洗にはキリストの十字架を信じる必要があります。それは神の愛によって成し遂げられました。

 

②世を愛する神の愛。

「神は…世を愛された。」「私たちがまだ罪人であったとき…神は私たちに対する愛を示されました。」(ローマ5:8) 神の愛は過去、現在、未来に渡って貫かれ、私たちが弱く、不敬虔であり、罪人であっても私たちに注がれ続けられています。

 

③独り子を与えるほどの愛。

「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。」神が、その独り子を私たちに与えてくださるほどに愛してくださったことがクリスマスの出来事です。


20221120日 礼拝 岡田順一牧師

「私たちの前を行く神」イザヤ書 52715

「主があなたがたの前を行き イスラエルの神がしんがりとなるからだ。」(イザヤ書52:12

 

①試練の時、前を行く神を信じる。

バビロン捕囚という民族的試練に際して、神は「主があなたがたの前を行き」と言われました。試練を通る時、自分の無力さ、経験の浅さによってしばしば挫折します。そういう私たちに神は「主があなたがたの前を行き」と、全能の神が弱い私たちの前におられると言われます。私たちは困難しか見えずに失望しますが、私の前に神を見させてくださいと祈る時、私たちの前におられる神によって希望が与えられます。

 

②試練の時、しんがりを守る神を信じる。

神は「神がしんがりとなるからだ。」と言われました。しんがりとは、戦いにおいて一番後方を守る兵士のことです。神がしんがりになることを通して、神は最終的に万事を益になるように導いてくださいます。しんがりの役割は、敵に後ろに回り込まれたり、追われたり死を覚悟すべき役割です。その役割を真の救い主が「その姿は損なわれ」る(14) ほどに苦しまれて十字架の死をもって成し遂げられました。


20221113日 礼拝 岡田順一牧師

「清めを求める神」イザヤ書 52111

「立ち去れ、立ち去れ、そこを出よ。汚れたものに触れるな。その中から出て、身を清めよ。主の祭具を担う者たちよ。」(イザヤ書52:11

 

①試練における清めの必要。

バビロン捕囚という民族的試練に際して、神は神の民に「身を清めよ。」と告げました。その理由は、試練に際してホーリネスが問われるからです。日本における民族的試練である戦時中、伊藤馨先生は投獄され、厳しい尋問を受けても信仰を守りました。礼拝が禁止されても先達たちは、信徒の家庭で礼拝を守りました。試練において清めを必要としています。

 

②清められる方法。

清められるためには消極的清めと積極的清めがあります。消極的清めは「立ち去れ、立ち去れ、そこを出よ。汚れたものに触れるな。」とイザヤが言ったように分離による清めです。バビロンの地は異郷の地であり、神に逆らう、神抜きに生活する場でした。そういう生き方から立ち去ることこそ清めです。積極的清めは、どのような試練の中にあっても「平和を告げ、幸いな良い知らせを伝え 救いを告げ」(7) る生き方をすることです。


2022116日 礼拝 岡田順一牧師

「感謝が生み出す恵み」イザヤ書 51111

「聞け、義を追い求める者たちよ 主を探し求める者たちよ。あなたがたが切り出されてきた岩に 掘り出された石切り場の穴に目を留めよ。」(イザヤ書51:1

 

①過去の恵みに感謝する力。

「あなたがたが切り出されてきた岩に…目を留めよ。」(1) この岩は城壁に使われました。元々は役に立たないと思われていましたが、城壁に組み込まれて価値ある物と変えられました。私たちもキリストと出会って価値ある人生に変えられました。切り出された岩に目を留めるとは、変えてくださった神に感謝することです。過去の恵みを忘れないなら、これからやってくる試練に対して大いなる力となるのです。

 

②神が共におられる恵みを感謝する力。

「あなたがたの父アブラハムに…目を留めよ。私は彼がただ一人であったとき呼び出し 祝福し、子孫を増やした。」(2) 「主はアブラムに言われた。『…地上のすべての氏族は あなたによって祝福される。」(創世記12:13何も成し得ない一人であっても神が共におられますなら、そこに大いなる祝福が注がれます。それを信じるなら大いなる力となります。


20221030日 礼拝 岡田順一牧師

「神のしもべの心」イザヤ書 5049

「主なる神は、弟子としての舌を私に与えた 疲れた者を言葉で励ますすべを学べるように。主は朝ごとに私を呼び覚まし 私の耳を呼び覚まし 弟子として聞くようにしてくださる。」(イザヤ書50:4

 

①教えられやすい心。

「主なる神は、弟子としての舌を私に与えた 疲れた者を言葉で励ますすべを学べるように。」(4)父なる神はイエスに疲れた者を励ます言葉を語る舌を与えました。「主は朝ごとに私を呼び覚まし…弟子として聞くようにしてくださる。」(4) 日々の祈りにおいて父なる神は御子イエスに語るべき言葉を与えました。イエスは教えられやすい心をもった神のしもべでした。

 

②従う心。

「主なる神は私の耳を開かれた。」(5) 父なる神はイエスの耳を開かれました。「私は逆らわず、退かなかった。」(5) 耳が開かれた目的は従うためです。子は父の愛に応えて自発的に従います。主人に愛された奴隷は「私は自分の主人…を愛しています。自由の身として去るつもりはありません」と応え、主人は彼の耳を錐で突き通します(出エジプト記21:56)。神のしもべは従う心をもっています。


20221023日 礼拝 岡田順一牧師

「神のしもべの使命」イザヤ書 4917

「主は言われる。『あなたが私の僕となって…私はあなたを諸国民の光とし 地の果てにまで、私の救いをもたらす者とする。』」(イザヤ書49:6

 

①神のしもべであるキリスト。

「主は私に言われた。『あなたは私の僕…私はあなたの中で私の栄光を現す。』」(3) 「独り子である神、この方が神を示されたのである。」(ヨハネ1:18) 父なる神をこの地上に現すのは神のしもべである独り子だけです。「私はあなたを諸国民の光とし 地の果てにまで、私の救いをもたらす者とする。」(6) 「万民の前に備えられた救いで 異邦人を照らす啓示の光…です。」(ルカ2:3132) と、キリストの誕生によって実現しました。

 

②神のしもべであるキリスト者。

「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして…地の果てまで、私の証人となる。」(使徒言行録1:8) キリストは、神のしもべの使命をキリスト者に託しました。「主は私たちにこう命じておられるからです。『私は、あなたを異邦人の光とし 地の果てにまで救いをもたらす者とした。』」(使徒言行録13:47) パウロと共にこの使命を果たしましょう。


20221016日 礼拝 岡田順一牧師

「神に背負われる私たち」イザヤ書 46113

「あなたがたが年老いるまで、私は神。あなたがたが白髪になるまで、私は背負う。私が造った。私が担おう。私が背負って、救い出そう。」(イザヤ書46:4

 

①神に愛されている私たち。

「母の胎を出た時から私に担われている者たちよ」(3) 赤ちゃんは両親の愛に育まれて成長します。「母の胎を出た時から」とは私たちが最初から神に愛されている存在であり、愛のゆえに神は私たちを背負ってくださるのです。

 

②日々に私たちを背負う神。

「いにしえから続くこれまでのことを思い起こせ。」(9) 人生は一日一日の積み重ねです。神が私たちを背負ってくださるのも、一日一日であることを思い起こすべきです。「我らの救いの神は 日々、私たちを担ってくださる。」(詩編68:20) 「私たち」は神に日々、担われていることを感謝しましょう。

 

③背負われる私たちの重荷。

「背く者らよ」(8) 「心のかたくなな者たち」(12) 神に背負っていただくべき私たちの重荷は罪の重荷です。しかし神は「私の救いは遅れることはない。」(13) と言われました。自らの罪を認める時、神による救いが与えられます。


2022109日 長寿の恵み感謝礼拝 岡田順一牧師

「私たちを背負われる神」イザヤ書 46113

「あなたがたが年老いるまで、私は神。あなたがたが白髪になるまで、私は背負う。私が造った。私が担おう。私が背負って、救い出そう。」(イザヤ書46:4

 

①私たちを背負う神。

「私は背負う…私が担おう。私が背負って」(4) 神様は繰り返し私たちを背負うのはご自分であることを強調しています。「ベルは身をかがめ、ネボは身を伏せる」(1) ベルは生産の神のネボは科学と文学の神の偶像です。偶像は人間に背負われる重荷となり主なる神だけが私たちを背負ってくださいます。

 

②私たちの全存在を背負う神。

「あなたがたが…あなたがたが」(4) と、神は私たちの全存在を背負ってくださいます。「あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている」(マタイ10:30) 私たちの全存在を知り、愛してくださる方が背負ってくださいます。

 

③私たちの全生涯を背負う神。

「母の胎を出た時から私に担われている」(3) 人生の最初から、「白髪になるまで、私は背負う」(4)人生の最後まで神は私たちの全生涯を背負ってくださいます。「私の計画」(10) とは、私たちの全生涯に神はご計画をお持ちなのです。


2022102日 特別礼拝 島 隆三牧師(東京聖書学校教師・当教会出身)

「誰から学んだか」テモテへの手紙二 31017

「あなたは、それらを誰から学んだかを知っており、また、自分が幼い頃から聖書に親しんできたことをも知っているからです。この書物は、キリスト・イエスへの信仰を通して救いに至る知恵を与えることができます。」(テモテへの手紙二3:1415

 

「出会いの真理」が重要。人格を通して真理を学ぶことができる。

 

①ホーリネスの歴史を通して。

「先達に学ぶ-小原十三司・安倍豊造・伊藤馨・中島代作の小伝と思い出」を編著したが、この4人の恩師を通して真理を学んだ。ホーリネス教会の歴史においては1901年に東京・神田神保町からスタートした中田重治、1890年に島根県松江からスタートしたバークレー・バックストン、この二人の感化を受けた弟子たちによって発展していった。

 

②聖書において。

旧約はアブラハムをはじめ、信仰人物伝である。福音書は人となられたイエス・キリストの人格によって、手紙はパウロの人格によって真理が記されている。使徒言行録19章にパウロの真似をして失敗した祈祷師のことが記されているが、私たちは人真似ではなく直接に神と出会っているかが大切である。