2019年6月30日 礼拝 岡田文美佳副牧師
「神様の御顔を避けて」ヨナ書 1章1〜16節
「しかしヨナは主から逃れようとして出発し、タルシシュに向かった。」(ヨナ書1:3)
ヨナ書は、神様の救いの広さ(どのような罪人も)と、一人の人が用いられる器になるため関わってくださる神様の愛とご忍耐が記されています。
①神の御顔を避けて。
ヨナは神様を知っていました。神様のご愛、ご支配も知っていました。しかし、神様のご命令を受け入れることができませんでした。私たちもまた、ヨナのような頑なな心で神様の御顔を避ける時があります。いつも神様の御旨が最優先ですか?神様の御心よりも私のやりたいことを優先してはいないでしょうか。
②関わり続けてくださる神。
神様のご計画という道から離れて行ったヨナに対し、神様は実に忍耐深く、そして丁寧にヨナを導かれます。神様はそのご支配の御力によって、ヨナの行くべき方向を、神様へ向き直るようになさいました。私たちをあきらめないで関わり続けてくださる、神様の御手にお任せいたしましょう。
2019年6月23日 弾圧記念礼拝 岡田順一牧師
「固く神に信頼する心」詩編 112篇 1〜10節
「彼は悪評を立てられても恐れない。その心は、固く主に信頼している。彼の心は堅固で恐れることなく、ついに彼は敵を支配する。」(詩編112:7〜8)
「彼は悪評を立てられても恐れない。その心は、固く主に信頼している」(新改訳「その人は悪い知らせを恐れず、主に信頼して、その心はゆるがない」)と記されています。この詩人のもっていた主への固い信頼とは、主の何に対する信頼だったのでしょうか。
①神の言葉への信頼。
「いかに幸いなことか 主を畏れる人 主の戒めを深く愛する人は」(1)
詩人は主の戒め、神の言葉を深く愛しました。試練において神の言葉を握ることが勝利の道です。
②永遠に目を向ける。
「善い業は永遠に堪える。彼の角は高く上げられて、栄光に輝く」(9)
試練は目の前にありますが詩人は永遠に目を向けました。そこには栄光に輝く御国が備えられています。
③光なる主への信頼。
「まっすぐな人には闇の中にも光が昇る」(4)
「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ」(ヨハネ8:12)
闇を照す光なる主を信頼しましょう。
2019年6月16日 特別伝道礼拝 岡田順一牧師
「一羽のすずめさえ忘れない神」ルカによる福音書 12章1〜12節
「だれを恐れるべきか、教えよう。…地獄に投げ込む権威を持っている方だ。そうだ。言っておくが、この方を恐れなさい。五羽の雀が二アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、神がお忘れになるようなことはない。」(ルカによる福音書12:5~6)
主イエスは「私たちを『地獄に投げ込む権威を持っている方』」、つまり神を恐れなさいと群衆に言われました。神を恐れるとは神を敬い、神を信じることです。その後で「五羽の雀が二アサリオンで売られている」と言われました。マタイの平行記事では「二羽の雀が一アサリオンで売られている」(マタイ10:29)と記されています。アサリオンとは最低の貨幣単位です。二羽の雀が一アサリオンで売られていることが相場でした。ルカの話はたたき売りです。二セットつまり四羽買ってくれれば一羽おまけしてくれるのです。主イエスが「その一羽さえ、神がお忘れになるようなことはない」と言われた「その一羽」とは、おまけのように無価値に自分を思ってしまう人も、神はけっして忘れないと愛をもって言って下さるのです。それを知っている所に神を信じる人の幸いがあります。
2019年6月9日 ペンテコステ礼拝 岡田順一牧師
「永遠の聖霊」ヨハネによる福音書 14章15〜24節
「わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。この方は、真理の霊である。」(ヨハネによる福音書14:16〜17)
①永遠にいます聖霊。
「わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない。」(18)
地上を去られる主イエスは、御自分のかわりに聖霊なる神を私たちのために永遠に遣わしてくださいました。
②助け主なる聖霊。
聖霊について主イエスは「弁護者」と紹介しました。その意味は助け主、慰め主、弁護し、励まし、力づける存在です。信仰生涯において聖霊はそのような存在なのです。
③真理の霊。
「聖霊が…わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる」(26)
聖霊は主イエスの真理、御言葉の真理を明らかにします。「聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ」たからです(テモテ二3:16)。聖霊と主と御言葉は常に一致しています。
④信じる者に内住する聖霊。
「この霊があなたがたと共におり、これからも、あなたがたの内にいるからである」(17)
聖霊を通して主は主を愛し、主の言葉を守る人の内におられます(23)。
2019年6月2日 礼拝 岡田順一牧師
「偉大な神の指の御業」ルカによる福音書 11章14〜26節
「わたしが神の指で悪霊を追い出しているのであれば、神の国はあなたたちのところに来ているのだ。」(ルカによる福音書11:20)
①神の指による救いの御業。
「魔術師はファラオに、『これは神の指の働きでございます』と言った」(出エジプト記8:15)
エジプトで苦しむイスラエルの民は、神の指による奇跡によって救出されました。
「主が力強い御手をもって、我々をエジプトから導き出された」(出エジプト記13:16)
私達も神の力強い御手によって救われたのです。
②神の指による創造の御業。
「あなたの天を、あなたの指の業をわたしは仰ぎます。月も、星も、あなたが配置なさったもの」(詩編8:4)
私たちも神の指の業による作品です。それゆえに、罪によって汚された私たちを神が造り直してくださいます。名医が触診するように、神は愛の御手によって私たちにタッチしてくださいます。
③神の指の業にあずかるために。
「神の指で記された石の板をモーセにお授けになった」(出エジプト記31:18)
神の指で記された御言葉を通して神の触診がなされます。マタイは神の指を神の霊と記しました(マタイによる福音書12:28)。聖霊が神の指の業を表してくださいます。
2019年5月26日 礼拝 岡田順一牧師
「求め、探せ、たたけ」ルカによる福音書 11章5〜13節
「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。」(ルカによる福音書11:9)
①神と私との会話である祈り。
主の祈りは「父よ」(2)と呼び掛け、「わたしたちに、わたしたちの、わたしたちも、わたしたちを」(3~4)と私のための祈りでした。主は私たちに、祈りとは父なる神と神の子とされた私たちとの会話であることを教えられました。
②祈りの力である神の愛。
父なる神との祈りの会話によって、私たちは神の愛を豊かに注がれます。その神の愛によって私たちの祈りは私から、家族へ、友人へ、それも手のかかる友人のための執り成しの祈りとしてささげられるようになっていきます(5~8)。
③祈り続ける者の祝福。
「しつように頼めば…必要なものは何でも与えるであろう」(8)「しつように」の意味は恥知らず,厚かましいです。主は「祈りを教えてください」と願う弟子に恥知らずの祈り、厚かましい祈りをささげるように勧めました。聖霊が軌道修正して下さいますから、私たちは大胆に祈ることができます。
2019年5月19日 礼拝 岡田順一牧師
「神を崇める祈り」エフェソの信徒への手紙 3章14〜21節
「教会により、また、キリスト・イエスによって、栄光が世々限りなくありますように、アーメン。」(エフェソの信徒への手紙3:21)
「国とちからと栄えとは 限りなくなんじのものなればなり アーメン」との主の祈りの結びと、アーメンについて学びましょう。
①神を崇める祈り。
主の祈りは頌栄、神を崇める言葉で結ばれています。崇めるとは神の存在を認め、神を賛美することです。国とちからと栄えのすべては神のものであることを認め、その全能の神が祈りに応えてくださることを感謝しほめたたえるのです。
②キリストによって神を崇める。
「心の内にキリストを住まわせ、あなたがたを愛に根ざし、愛にしっかりと立つ者としてくださるように」(17) 内にいますキリストによって私たちが愛にしっかり立つ者となることを通して神が崇められます。
「この方を通して『アーメン』と唱えます」(コリント二1:20) 「アーメン」とは「神の真実」の意味です。キリストの名を通して祈りがささげられる時、キリストも天においてアーメンと唱え、私たちもアーメンと心と声を合わせて唱え神の真実を証しする時、神が崇められます。
2019年5月12日 母の日伝道礼拝 岡田順一牧師
「母の愛と神の愛」マタイによる福音書 15章21〜28節
「イエスはお答えになった。『婦人よ、あなたの信仰は立派だ。あなたの願いどおりになるように。』そのとき、娘の病気はいやされた。」(マタイによる福音書15:28)
①母の愛の厳しさ。
「娘が悪霊にひどく苦しめられています」と娘のために熱心に求めるカナンの女に主イエスは沈黙され(23)、それでも求め続ける彼女に次には拒絶とも思える言葉を言われました(24)。これらの主の態度は、母の愛に対する期待の表れなのです。
②母の愛の強さ。
「しかし、女は来て、イエスの前にひれ伏し、『主よ、どうかお助けください』と言った」(25)
沈黙されても拒絶されても「しかし」と求め続ける母の愛の強さを見、さらに主の態度に腹を立てるのではなくひれ伏す遜った母の強さを見ます。
③母の愛と神の愛。
「わたしを憐れんでください」(22)「わたしをお助けください」(25口語訳) 彼女は娘のことを求めているのに、わたしをと求めました。彼女にとってわたしと娘は一つです。主イエスは私がかけられるべき十字架にかかられました。母の愛はこの神の愛と同質です。この愛によって私たちは今日あるのです。
2019年5月5日 礼拝 岡田順一牧師
「試みから救う神」ルカによる福音書 11章1〜4節
「わたしたちを誘惑に遭わせないでください。」(ルカによる福音書11:4)
イエス様が教えてくださった「主の祈り」の中から「我らをこころみにあわせず 悪より救いいだしたまえ」を学びましょう。
①「我らをこころみにあわせず」
「こころみ」の原語の意味は、誘惑と試練です。誘惑はサタンがもたらし試練は神から与えられるものです。主の祈りの中のこころみは誘惑を指しています。サタンは人間の弱い部分を誘惑します。多くの人に共通する弱さとは金銭欲、情欲(異性)、権力欲(プライド)です。誘惑を受けることは罪ではありませんが、聖書の多くの人物はこれらの欲に負けて罪を犯しました。私たちも日々この祈りをささげるべきです。
②「悪より救いいだしたまえ」
神の側には私たちの求めに応える用意があることを信じるべきです。「神は真実な方です。…試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。」(コリント一10:13)
自分の内に悪に負けてしまう弱さがあることを認めて、日々神に祈るべきです。祈りの中に神は必ず「逃れる道」を用意してくださっていることを信じましょう。
2019年4月28日 礼拝 岡田文美佳副牧師
「大いなる祝福の約束」使徒言行録 16章25〜34節
「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます。」(使徒言行録16:31)
①真夜中の賛美
パウロとシラスは、フィリピでの福音の前進のさなかに捕らえられます。鞭うたれ、その傷が痛みを覚えたであろう夜、主への賛美と祈りを捧げていました。その姿は囚人たちの心を捉えたのです。この賛美の源は何だったのでしょうか?主の豊かな臨在と共にフィリピにおいての出会った人々が救われ、主の恵みに生かされる姿に力づけられたからでした。
②主の祝福の約束
牢獄の看守は、大地震によって自分の看守の責務を果たせなかったと自害しようとしました。しかし、パウロたちのゆえに牢から逃げた囚人は一人もいなかったのです。彼の心は捉えられ、自らの魂への救いを求めました。看守と家族の救いがなされたのです。一人の人が、神様に見いだされ、救われる。これ以上の祝福はありません。そして、救いの恵みは一人の人にとどまらず、その人の家族、その人の周囲の人へと拡大してゆきます。
2019年4月21日 イースター礼拝 岡田順一牧師
「先行する恩寵」マタイによる福音書 26章31〜35節
「しかし、わたしは復活した後、あなたがたより先にガリラヤへ行く。」(マタイによる福音書26:32)
十字架の死の後、葬られた主イエスの墓に行った婦人たちに、天使と復活された主が言われた言葉の共通点に注目しましょう。
①「恐れることはない」(28:5,10)
主を失い、将来に、自らの死について恐れる人々に天使も主も「恐れることはない」と言われました。人生の恐れを復活された主は取り除いてくださいます。
②復活の事実。
天使は、主イエスは「復活なさったのだ」(28:6)と告げ、主は婦人たちに「おはよう」と言われました(28:9)。主の復活が現実のことになったことをはっきりと知らせたのです。
③主は先にガリラヤに行かれる。
天使も主イエスも、主が先にガリラヤに行かれ会うことが出来ると告げました(28:7,10)。この約束は、ペトロが主を三度否定することを主から指摘された時になされました(31~35)。ガリラヤとは弟子たちが主と出会った場所です。これは人生において失敗した時、原点であるガリラヤに戻るなら、復活の主が先におられ必ず助けてくださるとの約束なのです。
2019年4月14日 棕櫚の主日礼拝 岡田順一牧師
「十字架による罪の赦し」マタイによる福音書 26章26〜30節
「杯を取り、感謝の祈りを唱え、彼らに渡して言われた。『皆、この杯から飲みなさい。これは、罪が赦されるように、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である。』」(マタイによる福音書26:27〜28)
①十字架を覚える聖餐。
主イエスは、後世の人々に十字架を伝えるために、弟子たちに聖餐を教えました。キリストの体と血の象徴としてのパンとブドウ液を「取って食べなさい」「この杯から飲みなさい」と自らの意思でそれを受けるべきことを伝えました。
②新しい契約を覚える聖餐。
エレミヤは、十字架による新しい神の契約を預言しました。「わたしの律法を彼らの胸の中に授け、彼らの心にそれを記す…わたしは彼らの悪を赦し、再び彼らの罪に心を留めることはない」(エレミヤ31:33~34) 十字架によってもたらされる罪の赦しは完全であり、神の記憶から消し去ってくださいます。
③信仰を全うするための聖餐。
「このパンを食べこの杯を飲むごとに、主が来られるときまで、主の死を告げ知らせるのです」(コリント一11:26) 聖餐を受けるごとに自らの信仰を確認し続けるのです。
2019年4月7日 礼拝 岡田順一牧師
「裏切り者への神の愛」マタイによる福音書 26章14〜25節
「イエスは言われた。『はっきり言っておくが、あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ろうとしている。』」(マタイによる福音書26:21)
①すべての人が罪人である。
マリアが主イエスに高価なナルドの香油を注いだことを批判した人についてマルコは「そこにいた人の何人かが」(14:4)と記し、マタイは「弟子たちは」(26:8)と記しヨハネは「イエスを裏切るイスカリオテのユダが」(12:4)と記しています。この食い違いはユダの裏切りの可能性が他の弟子たちの中にも、そしてすべての人の中にあることを意味しています。
②賜物という誘惑がある。
「ユダの中に、サタンが入った」(ルカ22:3)ユダは都会育ちで学問もあり自分の考えに自信を持っていました。自分と主イエスとの食い違いをサタンに付け込まれ自分の考えを押し通し誘惑に負けてサタンの虜となってしまいました。
③悲しませる者をも愛する主。
「人の子を裏切るその者は不幸だ。生まれなかった方が、その者のためによかった」(24)「世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた」(ヨハネ13:1)裏切るユダをも主は最後の最後まで愛し、悔い改めることを待ちました。