2017年9月24日 礼拝 岡田順一牧師
「人生の牧者」詩編 23篇1〜6節
「主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。」(詩編23:1)
①主を羊飼いとする恵み。
「わたしには何も欠けることがない」とは羊飼いによる過去の恵みへの感謝。「魂を生き返らせてくださる」(3)とは羊飼いによる現在の恵みへの感謝。「わたしを正しい道に導かれる」(3)とは羊飼いによる将来の恵みへの期待です。
②自分を神の羊とする恵み。
羊は弱く自分を守る力はありません。迷いやすく一匹で生きていくことはできません。神の御前に自分はそういう弱い一匹の羊であることを認め、「わたしたちは主のもの、その民 主に養われる羊の群れ」(詩編100:3)と告白すべきです。
③羊を豊かに導く羊飼い。
羊飼いである主に最後まで従う人は生涯を振り返り「わたしには何も欠けることがない」と告白出来る人です。主がモーセを出エジプトの指導者とした時、彼の手にある羊飼いの杖を羊飼いとしての主の臨在のしるしとしました。その後の四十年の荒野の旅において主はモーセの手の業をすべて祝福されました(申命記2:7)。羊飼いである主が共におられたからです。
2017年9月17日 召天者記念礼拝 岡田順一牧師
「天の故郷を熱望して」ヘブライ人への手紙 11章13〜16節
「彼らは更にまさった故郷、すなわち天の故郷を熱望していたのです。」(ヘブライ人への手紙11:16)
①信仰に貫かれた生き方。
「この人たちは皆、信仰を抱いて死にました。…地上ではよそ者であり、仮住まいの者であることを公に言い表したのです」(13)
信仰を抱いている人の生き方は「よそ者であり、仮住まい」であると記されています。これは地上の人生は未完成であることを知って生きることです。お金を儲けてももっと儲けたくなります。完成に至りません。未完成なこの世の物に執着することなく生きることこそ信仰に貫かれた生き方です。
②信仰に貫かれた死に方。
「彼らは…天の故郷を熱望していた」(16)
「熱望する」とは「最も大切なものとする」という意味です。天の故郷である御国に行くことこそ最も大切なことです。「神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいません。神は、彼らのために都を準備されていたからです」(16)とあるように神に対して「恥」と思うような自分であったとしても、私たちが天の故郷を熱望するなら、神は私たちのために都を準備してくださるのです。
2017年9月10日 長寿の恵み感謝礼拝 岡田順一牧師
「夢を見る老人」使徒言行録 2章14〜21節
「わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたたちの息子と娘は預言し、若者は幻を見、老人は夢を見る。」(使徒言行録2:17)
聖霊が注がれる時、老人は夢を見るとはいかなる意味でしょうか。
①物質的世界の彼方を見つめる老人。
「聖霊によらなければ、だれも『イエスは主である』とは言えないのです」(コリント一12:3)
聖霊は私たちの目を物質に捕われていた自分から神に向けさせます。年を重ねて物質によって保証を得ることを第一にしていた私たちを、聖霊は神による保証こそ確かであることに目を開かせます。
②神に喜ばれる自分を目指す老人。
聖霊は霊の結ぶ実を求める思いを与えます(ガラテヤ5:22~23)。敵をも愛する愛。喜びの動機を神とする絶えない喜び。神に見守られている心の平和。神の忍耐に学ぶ他者への寛容。神の愛に根ざした親切。神に強められた善意。神への忠実さから生み出された誠実。神に対して従順な人の柔和な心。神に助けられて自制出来る人の節制。このような神に喜ばれる人となる成長を生涯求めることを神は願っておられます。
2017年9月3日 礼拝 岡田順一牧師
「創世記のキリスト」創世記 1章26〜31節
「神は言われた。『我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。』」(創世記1:26)
①初めから存在されたキリスト。
人間を創造された神が「我々に」と複数形で表現されているのは父なる神、御子キリスト、聖霊なる神の三位一体の神を表しています。「天地創造の前からわたしを愛して」(ヨハネ17:24)とキリストは初めから存在されたお方です。
②初めから救いの計画であったキリスト。
創世記4章においてカインが弟のアベルを殺害しました。その理由は「彼は悪い者に属して」(ヨハネ一3:12)とカインが父アダムの罪の遺伝を受けて罪人なので罪を犯したのです。全人類が罪の遺伝を受けています。しかしイエス・キリストは罪人である全人類の救い主となられました。
③キリストの十字架による救い。
アダムとエバを罪に誘った蛇に神は「彼はお前の頭を砕きお前は彼のかかとを砕く」(3:15)と預言されました。彼とはキリスト、お前とは悪魔のことです。悪魔はキリストのかかとを砕き十字架に追いやります。しかしその十字架が全人類の救いとなり、悪魔への完全な勝利となるのです。
2017年8月27日 礼拝 岡田文美佳副牧師
「愛によって働く信仰」マルコによる福音書 2章1〜12節
「イエスはその人たちの信仰を見て、中風の人に、『子よ、あなたの罪は赦される』と言われた。」(マルコによる福音書2:15)
神様は、一人の人が、イエス様に出会い、罪赦され、癒されるために本人との関わりと同時に、「その人たちの信仰」、つまり友の信仰をお用いになられます。
①愛による信仰。
体が不自由で自分では、イエス様に近づくことができない友のために四人の友が働かせたのは、病む友への愛でした。幾つもの困難が目の前にありましたが、彼らは愛ゆえにあきらめませんでした。そして、一人一人が持てるところの賜物、力を働かせて中風の友をイエス様の前につれていったのです。
②全き信頼。
彼らには、イエス様の所にいけば、癒しが、救いがなされるとの全き信頼がありました。イエス様のもとには、癒しがあり、赦しがあり、救いがあります。
③赦しの宣言。
信仰を働かせた彼らに対して、主イエス様は、中風で病む人に向き合い、罪の赦しの宣言、癒しの御業を行われました。
私たちもまた、私たちの関わる愛する家族、友の救いのために、祈りと愛の関わりを続ける者でありたいと思います。
2017年8月20日 礼拝 岡田順一牧師
「神の顧み」創世記 50章1〜26節
「神は必ずあなたたちを顧みてくださり、この国から…誓われた土地に導き上ってくださいます。」(創世記50:24)
①神に祝福された者の死。
ヤコブの死に際して王に準ずる程の盛大な葬儀が行われました(1~11)。これは神に祝福された者の死は、この世のいかなる人の死にも劣らず尊いことを表しています(詩編116:15、黙示録14:13)。どうか信仰を全うして尊い生涯を歩みましょう。
②人生を導く神。
ヤコブの死後、ヨセフの兄たちはヨセフの仕返しを恐れました(15)。それに対してヨセフは「あなたがたはわたしに悪をたくらみましたが、神はそれを善に変え、多くの民の命を救うために、今日のようにしてくださったのです」(20)と言いました。神こそが人生の導き手であり、完成者なのです。
③初めであり、終りである神。
ヨセフは死に際して「神は、必ずあなたたちを顧みてくださいます。そのときには、わたしの骨をここから携えて上ってください」と告げ(25)、それは実行されました(出エジプト記13:19、ヨシュア24:32)。神はヨセフを持ち運び約束の地に葬りました。神こそ私たちの人生の初めであり、終りなのです。
2017年8月13日 礼拝 岡田順一牧師
「神の祝福の拡大」創世記 49章22~33節
「ヤコブの勇者の御手により それによって、イスラエルの石となり牧者となった。」(創世記49:24)
①神の祝福の伝達者となる祝福。
「お前たちの父イスラエルに耳を傾けよ」(2)
ヤコブは臨終に際して、神から与えられた名であるイスラエルとして遺言を残しました。それは自分の何かではなく、神から与えられた祝福を伝達することこそが祝福であるからです。
②祝福を得る秘訣。
ヤコブはヨセフを通して祝福を得る秘訣を残しました。
「泉のほとりの実を結ぶ」(22)
第一に泉である神から離れず信頼し続けました。
「枝は石垣を越えて伸びる」(22)
第二に自分だけでなく祝福の拡大を願いました。
「彼の弓はたるむことなく」(24)
第三に信仰の弓から祈りの矢を放ち続けたことです。
③キリストを証しする祝福。
ヤコブは神の祝福がヨセフに注がれることを通してヨセフが「イスラエルの石」「牧者」(24)「頭」(26)となったと告げました。これらはキリストを表す言葉です。さらにユダに対して「あなたを伏し拝む」と告げました(49:8)。ユダの子孫からダビデが生じ、そしてキリストに至るからです(マタイ1章)。
2017年8月6日 礼拝 岡田順一牧師
「祝福をもたらす人」創世記 48章1~22節
「わたしをあらゆる苦しみから 贖われた御使いよ。どうか、この子供たちの上に 祝福をお与えください。」(創世記48:16)
①祝福とは。
主は祭司アロンに祝福の祈りを教えました(民数記6:22~27)。祝福は主からであり人の何かではありません。祝福は主がそこに御顔を向けられることです。主の御顔は太陽のような輝きです(マタイ17:2)。その輝きが見守り、恵み、平安をもたらします。
②祝福をもたらし得る人。
ヤコブは「わたしの生涯を今日まで 導かれた牧者なる神よ。わたしをあらゆる苦しみから贖われた御使いよ」(15~16)と生涯に渡って与えられた神の祝福に感謝しました。その与えられた豊かな祝福のゆえに彼は「どうか、この子供たちの上に 祝福をお与えください」と祝福の祈りをささげることができました。ヤコブの感謝の言葉に対してアーメンと言えますなら私たちも祝福をもたらし得る人となることができます。
③祝福をもたらす人の心。
ヤコブはヨセフの二人の子である孫たちに祝福を祈る時、長男、次男に対して祝福の格差を考えませんでした。ヤコブはひたすら神の祝福をもたらすことに努めました。
2017年7月30日 礼拝 岡田順一牧師
「神の約束を信じて」創世記 47章27〜31節
「わたしが先祖たちと共に眠りについたなら、わたしをエジプトから運び出して、先祖たちの墓に葬ってほしい。」(創世記47:30)
①神に与えられた人生への感謝。
「イスラエルは、エジプトの国、ゴシェンの地域に住み」(27)エジプトに移住したヤコブは羊飼いをするのに最も適したゴシェンの地域に住みました。ヤコブは神に与えられた羊飼いの職を感謝し、生涯羊飼いを全うしました。
②与えられた神の言葉への感謝。
「神は言われた。『…エジプトへ下ることを恐れてはならない。わたしはあなたをそこで大いなる国民にする』」(46:3)ヤコブは神の約束を握りエジプトに行き「子を産み、大いに数を増した」(27)神の約束は成就されました。
③人生の目的地への信仰。
ヤコブの遺言は「エジプトには葬らないでくれ。…先祖たちの墓に葬ってほしい」(29~30)とのことです。「わたしがあなたと共にエジプトへ下り、わたしがあなたを必ず連れ戻す」(46:4)ヤコブには帰るべき人生の目的地が備えられていました。私たちも御国が備えられていることを感謝しましょう。
2017年7月23日 礼拝 岡田順一牧師
「神の僕となる幸い」創世記 47章13〜26節
「彼らは言った。『あなたさまはわたしどもの命の恩人です。御主君の御厚意によって、わたしどもはファラオの奴隷にさせていただきます。』」(創世記47:25)
①ヨセフの神による知恵。
夢の意味を解き明かす知恵を神から与えられたヨセフについてエジプト王から「神の霊が宿っている人」、彼の言葉は「神が…みな示された」(41:38~39)と言われました。私たちの賜物も神から授かっていることを忘れてはなりません。
②隣人のための神の知恵。
ヨセフは飢饉に苦しむ民に食糧を与えるため、銀(14)、家畜(16)、農地(20)によって分け与えましたが、そのすべてを民が失った時、民を奴隷にすることによって彼らを助けました(23~24)。彼の知恵が隣人のために用いられたのです。
③神の僕となる。
エジプトのすべての民はヨセフの奴隷となりました(21)。ヨセフは主イエスの雛形です。すべてのクリスチャンは主の僕となるべきです。民はヨセフに「わたしどもの命の恩人」と言いました。私たちにとって主は永遠の命の与え主です。「奴隷にさせていただきます」と自らすすんで主の僕になりましょう。
2017年7月16日 特別伝道礼拝 辛島道也牧師
「心の深みまで新たにされて」エフェソの信徒への手紙 4章17〜24節
「心の底から新たにされて、神にかたどって造られた新しい人を身に着け、真理に基づいた正しく清い生活を送るようにしなければなりません。」(エフェソの信徒への手紙4:23~24)
①異邦人の心。
「異邦人と同じように歩んではなりません。…その心のかたくなさのために、神の命から遠く離れています」(17,18)「御父が…霊を与え、神を深く知ることができるようにし、心の目を開いてくださるように」(1:17~18)心のかたくなさが問題です。
②キリスト者の心。
「滅びに向かっている古い人を脱ぎ捨て、心の底から新たにされ」る必要があります。父は満州において大火傷によって両目を失明しました。帰国後、盲学校に入学し鍼灸師となった時、お客さんから「やがて目が見えなくなって良かったと思える日がやってくる」と言われて教会に誘われ救われました。
③主イエスの心。
「キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解し」(3:18)神によって救われ、受け入れられたことを感謝した父は、主イエスの愛の心によって自分に罪を犯す人を赦し、自分にも赦しの心の大切さを教えてくれました。
2017年7月9日 礼拝 岡田文美佳副牧師
「あなたのそばに来られる主」マルコによる福音書 1章29〜34節
「イエスがそばに行き、手を取って起こされると、熱は去り、彼女は一同をもてなした。」(マルコによる福音書1:31)
①イエス様の宣教(会堂を出て)。
イエス様は会堂において力ある御言葉を語られました。そして、神様の宣教の御業は、会堂から、人々の生活の場へと拡大して行きました。私が、担わされている場所は小さく、私の力も非力のように思えます。でも、神様は私を用いて下さいます。恐れず祈りをもって私の場所へ出て行きましょう。
②そばにきてくださる主。
ペトロとヤコブの家に行かれたイエス様はペトロの姑のそばに行き、手を取りその病を癒されました。ペトロは、イエス様にお従いするにあたり、家族も仕事も献げて弟子となりました。主はその献身を喜んで受け入れ、ペトロの歩みを祝福し用いられました。そして、そればかりか、ペトロの家族をも共に主に仕える祝福の中にいれてくださったのです。主が与えてくださる福音は、あらゆる方向に拡大していきます。この主に仕える者とさせていただきたいです。
2017年7月2日 礼拝 岡田順一牧師
「人生の旅路」創世記 47章1〜12節
「ヤコブはファラオに答えた。『わたしの旅路の年月は百三十年です。わたしの生涯の年月は短く、苦しみ多く、わたしの先祖たちの生涯や旅路の年月には及びません。』」(創世記47:9)
①人生の旅路の評価。
エジプト王ファラオから「あなたは何歳におなりですか」と聞かれたヤコブは「わたしの生涯の年月は短く、苦しみ多く、わたしの先祖たちの生涯や旅路の年月には及びません」と、彼は自分の人生の旅路を反省しました。兄を傷つけ、父をだました結果、兄に恨まれ、おじに欺かれ、息子たちにだまされ続けました。誰でも人生の旅路の評価をしなければなりません。
②人生の旅路を価値あるものとする。
「ヤコブはファラオに祝福の言葉を述べた」(7)
大エジプト帝国の王がヤコブの前にひざまずいて祝福を受けたのです。エジプト王をして祝福していただきたいと思わせる品性をヤコブが持っていたということです。それはヤコブの人生が反省の多い旅路であったがゆえに彼が祈りを学び、苦難によって忍耐を学び、神にゆだねる信仰を身に付けていたからです。私たちも人生を価値あるものとすることができます。