2017年3月26日 復活前第三主日礼拝 岡田順一牧師
「だれがいちばん偉いか」マルコによる福音書 9章30〜37節
「イエスが座り、十二人を呼び寄せて言われた。『いちばん先になりたい者は、すべての人の後になり、すべての人に仕える者になりなさい。』」(マルコによる福音書9:35)
①十字架の現実と私たちの現実。
主が十字架の予告をなさった時、弟子たちは「だれがいちばん偉いかと議論し合って」いました。十字架の現実と彼らの現実はかけ離れていました。そこで主は一人の子供を真ん中に立たせ「このような子供の一人を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである」と言われました(37)。「子供の一人」とは私たちにとってクリスマスに誕生された主イエスです。そのお方を現実の救い主として信じて救われたのです。
②キリストの心と私たちの心。
だれがいちばん偉いかを議論する弟子たちの心には高ぶりがありました。それに対して主は「すべての人に仕える者になりなさい」と弟子たちに勧めました。弟子たちの高ぶりの原因はヘルモン山における主の変貌に遭遇したことによると思われます(2~8)。恵まれ時、高ぶることなくへりくだってもっと恵みを慕い求めるべきです。それがキリストの心です。
2017年3月19日 復活前第四主日礼拝 岡田順一牧師
「自分の十字架を負って」マルコによる福音書 8章31〜38節
「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。」(マルコによる福音書8:34)
①キリストへの理解。
「あなたがたはわたしを何者だと言うのか」との主の質問にペトロは「あなたは、メシアです」と答えました(29)。メシアとは救い主という意味です。レント(受難節)を歩む中、私たちもキリストを自分の救い主として告白しましょう。
②十字架を宣べ伝える。
「イエスは、人の子は必ず多くの苦しみを受け…殺され、三日の後に復活する」(31)ことを弟子たちにはっきりとお話しになりました(32)。私たちも全人類の唯一の救いの道である十字架のメッセージをはっきりと宣べ伝えましょう。
③自分の十字架を負って主に従う。
十字架に向かう主は弟子たちに三つの生き方を教えました。第一に「自分を捨て」自我を、自己中心を、自分さえ良ければという生き方を捨てることです。第二に「自分の十字架を背負って」私たち一人一人に対する神の計画にどこまでも従って行くことです。第三に「わたしに従いなさい」少しでも主に倣い、主に近付き、主のように生きることです。
2017年3月12日 礼拝 岡田順一牧師
「忘却の恵み」創世記 41章37〜57節
「ヨセフは長男をマナセ(忘れさせる)と名付けて言った。『神が、わたしの苦労と父の家のことをすべて忘れさせてくださった。』」(創世記41:51)
①忘却の恵み。
ヨセフはエジプト王によって総理大臣に任命され、結婚も出来、子供も与えられました。その与えられた長男にヨセフはマナセ「忘れさせる」という意味の名を付けました。それはヨセフが神による忘却の恵みを心から感謝していたからです。
②苦労を忘れる恵み。
「わたしの苦労」とは、兄たちから受けた仕打ち、それによる苦しみ、恨み、悩み。エジプトに来てからの偽証による投獄、恩を忘れられたこと。それらのヨセフの苦労を神は忘れさせてくださったと、彼はその恵みを告白しました。
③失ったものを忘れる恵み。
「父の家のことをすべて忘れさせてくださった」「父の家」とはヨセフが兄たちによって失ったものです。他者から受けた仕打ちを忘れることが難しいのは失ったものの大きさのゆえです。しかし神は失ったもの以上を与えるお方です。ヨセフはそれを知った時、忘却の恵みにあずかりました。
2017年3月5日 礼拝 岡田順一牧師
「恵みの蓄え」創世記 41章17〜36節
「これから訪れる豊年の間に食糧をできるかぎり集めさせ…保管させるのです。」(創世記41:35)
①人に忘れられた時。
ヨセフは無実の罪で監獄に入れられましたが給仕役の長と出会い、彼の夢を解き明かし、そのお礼として王に釈放の口添えを頼みました。「ところが、給仕役の長はヨセフのことを思い出さず、忘れてしま」(40:23)いました。人に忘れられた時、私たちが心に留めるべきことは、人に頼ることなく神の真実に頼ることです。「わたしがあなたを忘れることは決してない」(イザヤ49:15)と主は私たちに常に言ってくださるのです。
②恵みを忘れる時。
王が夢を見た時、ようやく給仕役はヨセフのことを王に告げました。ヨセフは王の夢を解き明かし、7年の豊作の後の7年の飢饉を知らせました。「豊作があったことは…飢饉のために全く忘れられてしまう」とヨセフは王に告げました。それは神の恵みを試練が忘れさせてしまうという警告です。そうならないために国を治める人と豊作の蓄えが必要です。それは主を私たちの心の王座に迎え、御言葉を日々に親しむことです。
2017年2月26日 礼拝 岡田順一牧師
「人に忘れられた時」創世記 40章1〜23節
「ところが、給仕役の長はヨセフのことを思い出さず、忘れてしまった。」(創世記40:23)
①誘惑から試練へ。
エジプトの侍従長の奴隷であったヨセフは主人の妻に誘惑されましたが「神に罪を犯すことができましょう」(39:9)と誘惑を拒みました。しかし主人の妻の逆恨みによって彼は監獄に入れられてしまいました。悪い時に悪いことが重なるかのようなこの出来事は実は神が誘惑から試練へと導かれたのです。
②試練の意味。
「主は…彼を…首に鉄の枷をはめることを許された」(詩編105:18)主はあえてヨセフを監獄に入れ試練を与えました。それは監獄における長い沈黙を経て、やがてのために彼が忍耐力、隣人を思いやる心が養われるためだったのです。(ヘブライ12:11)
③試練から祝福へ。
ヨセフは王の給仕役の夢を解き明かし、王へ口添えを頼みましたが給仕役は彼のことを忘れてしまい、なお2年間監獄生活をすることになりました。その恩知らずと思った人がやがて役立つ存在となりました。私たちも忘れられたと思っても神は覚えておられることを信じて時が来ることを待ちましょう。
2017年2月19日 礼拝 岡田文美佳副牧師
「あなたに欠けているものが一つある」マルコによる福音書 10章17〜31節
「人間にできることではないが、神にはできる。神は何でもできるからだ。」(マルコによる福音書10:27)
①自分の欠け(足りなさ)を知る。
イエス様の元にやってきた一人の青年は優秀で誠実な人でした。律法に添って一生懸命自分を律して、正しく生きてきたつもりでした。しかし、彼にも欠けが、罪深さがあったのです。私もまた同じです。自らの欠け(足りなさ)を知ること、認めることは簡単なことではありませんがここから、救いの業が、神様の業が始まってゆきます。
②神の力を知る。
青年が去って行った現実を受け止めきれずに「では、だれが救われるのだろうか。」(26)と弟子たちは救いのハードルの高さに立ちすくんだことでしょう。しかし、イエス様は言われます。「神にはできる。」(27)と。
③神にお委ねする。
私たちは成し遂げてくださった十字架の救いの聖業を感謝し、受け入れ、そこに自らの弱さも欠けも、お委ねするだけです。
2017年2月12日 伝道礼拝 岡田順一牧師
「祝福された人生」詩編 1篇1〜6節
「その人は流れのほとりに植えられた木。ときが巡り来れば実を結び 葉もしおれることがない。その人のすることはすべて、繁栄をもたらす。」(詩編1:3)
①人生の選択。
「神に従う人」か「神に逆らう者」か誰でもどちらかを選択しなければなりません(6)。全人類は罪人ですが(ローマ3:23)、全人類を神は愛され、救いの道を開かれました(ヨハネ3:16)。"神を信じ、「神に従う人」になること"を選ぶことを神は願っておられます。
②神に逆らう者の滅びの道。
「神に逆らう者は…風に吹き飛ばされるもみ殻」(4)
人生に試練の風が吹いた時、神を信じる者は内に永遠の命、聖霊の力をいただいているので踏み止まることが出来ます。神に逆らう者は試練の風に吹き飛ばされてしまいます。
③神に従う人の祝福の道。
「その人は流れのほとりに植えられた木。ときが巡り来れば実を結び」流れのほとりの木が常に養分を供給して実を結ぶように、神に従う人は「主の教えを愛し」(2)神の愛の供給を常に受けているので行き詰まらず、失望せず、見捨てられず、滅ぼされず(コリント二4:8~9)霊の実を結ぶことが出来ます。
2017年2月5日 礼拝 岡田順一牧師
「神が共にいる恵み」創世記 39章1〜23節
「主がヨセフと共におられ、ヨセフがすることを主がうまく計らわれたからである。」(創世記39:23)
①失う恵み。
ヨセフはエジプトに売られ、故郷を失い、家族を失い、自由を失って絶望しました。絶望に至ってヨセフは神に真剣に祈り、祈りの中に神が自分と共におられることに目が開かれました。多くのものを失い裸のようになって得る恵みがあります。
②主が共にいる恵み。
第一に神の最善の御手が動かされました。「主がうまく計らわれた」
第二に神の恵みが証しされました。神の最善を主人が見ていました(3)。第三に証しによって主人に愛され信頼されました(4)。第四にヨセフの関わる人々が祝福されました(5)。神が共におられる人の行く所には神の祝福が伴うのです。
③誘惑に勝つ恵み。
ヨセフは主人の妻に誘惑されましたが、それに勝つことが出来ました。その秘訣は第一に謙虚さです。彼は主人の信頼に対して高慢になりませんでした(8~9)。第二に「神に罪を犯すことができましょう」(9)と神の目を畏れました。第三に自分の弱さを自覚していました。誘惑の場を避けました(10)。
2017年1月29日 礼拝 岡田順一牧師
「人の思いを越えて」創世記 38章24〜30節
「助産婦は言った。『なんとまあ、この子は、人を出し抜いたりして。』そこで、この子はペレツ(出し抜き)と名付けられた。」(創世記38:29)
①人を欺く罪の果て。
ユダは長男、次男を失い、三男を嫁のタマルと結婚させるはずでしたが、その約束を破りました。(11)タマルはユダに欺かれたことを知り、今度はユダを欺き娼婦のふりをしてユダとの間に子を身ごもり双子を出産しました。(18,27)
②人の思いを越えた神の計画。
「イエス・キリストの系図…ヤコブはユダとその兄弟たちを、ユダはタマルによってペレツとゼラを、ペレツはヘツロンを…」(マタイ1:1~3)嫁を欺いたユダ、義父を欺いたタマルによって生まれたペレツがキリストの祖先となりました。神をも出し抜く人の罪を越えて神の計画は前進します。
③自分の計画を神に任せる幸い。
「人の心には多くの計らいがある。主の御旨のみが実現する。」(箴言19:21)
「あなたの業を主にゆだねれば 計らうことは固く立つ。」(箴言16:3)
「人間の心は自分の道を計画する。主が一歩一歩を備えてくださる。」(箴言16:9)
2017年1月22日 礼拝 岡田順一牧師
「神を思う歩み」創世記 37章1〜20節
「ヨセフは夢を見て、それを兄たちに語ったので、彼らはますます憎むようになった。」(創世記37:5)
①ヨセフの任務。
父ヤコブはヨセフを兄たちの所へ遣わしました。(12~17)ヨセフは父の命令に従うと共に兄たちを心配して出かけました。これは主イエスが父なる神に遣わされ、全人類への愛をもって人間の世界に来られたのと同じ任務を表しています。
②ヨセフの受けた待遇。
「兄たちは…ヨセフを殺してしまおうとたくらみ」(18)深い穴にヨセフを投げ込みました。兄たちはヨセフを憎み、ねたんでいたのです(4,5,8,11)。主イエスも「まことの光」として来られましたが「民は受け入れなかった」(ヨハネ1:11)。人々のねたみのために十字架に追いやられ、同じ待遇を受けました。
③ヨセフの運命。
ヨセフは奴隷としてエジプトに売られました。主イエスもユダによって売られました。それぞれ意味ある運命でした。このように主イエスを表したヨセフですが、彼がこの大変な境遇においてその役割を果たせた秘訣は、ヨセフが夢見る人であったことです。試練の中にも夢で神を思い、神と会話したのです。
2017年1月15日 礼拝 岡田順一牧師
「チャンスを与える神」創世記 36章1〜8節
「エサウは…弟ヤコブのところから離れてほかの土地へ出て行った。」(創世記36:6)
①エサウのマイナス。
兄エサウ、弟ヤコブの双子が生まれた時、神は「一つの民が他の民より強くなり 兄が弟に仕えるようになる。」(25:23)と告げました。さらに兄エサウは自らの愚かさのゆえに長子の権利を弟のヤコブに譲ってしまいました。(25:30~34)
②エサウのプラス。
「イサクは、妻に子供ができなかったので、妻のために主に祈った。その祈りは主に聞き入れられ、妻リベカは身ごもった。」(25:21)エサウは両親に望まれて生まれた祈りの子であり、両親にとって神からの大切な授かりものだったのです。
③エサウへの神の計画。
「兄が弟に仕えるようになる」との神の言葉こそエサウへの神の計画でした。主イエスは「皆の僕になりなさい。人の子が、仕えられるためではなく仕えるために…来たのと同じように」(マタイ20:27~28)と言われました。神はエサウに期待しておられたのです。エサウはヤコブから離れてしまいましたが、神は計画を忘れることなくエサウを追い求められたのです。
2017年1月8日 礼拝 岡田順一牧師
「一人一人を愛する神」創世記 35章1〜8節
「神はヤコブに言われた。『さあ、ベテルに上り、そこに住みなさい。そしてその地に…あなたに現れた神のための祭壇を造りなさい。』」(創世記35:1)
34章において罪にまみれたヤコブの子供たちと、父として打ちのめされたヤコブに神はどのようにアプローチされたでしょうか。
①神へ立ち返る決心を促した。
「ベテルに上り、そこに住みなさい。」。ベテルとはヤコブが主から「あなたと共にいる…あなたを守り…決して見捨てない」(28:15)との約束をいただいた所です。その主の素晴らしい約束に立ち返るように主はヤコブを促しました。
②神の御前に生きる生活。
「神のための祭壇を造りなさい。」と祈りの生活が勧められた時、ヤコブは家族と共に罪を悔い改め、共に祈りの祭壇を再建しました。神の御前に生活を改善しました。
③一人一人を愛する神。
ヤコブは三人の死に向き合いました。母リベカの品性に影響を与えた乳母デボラ(8)、パウロの先祖となるベニヤミンを産んだ妻ラケル(18)、子供たちの和解を見ることが出来た父イサク(29)です。一人一人への神の愛が証しされました。
2017年1月1日 新年礼拝 岡田順一牧師
「イエスを見つめながら」ヘブライ人への手紙 12章1〜3節
「自分に定められている競走を忍耐強く走り抜こうではありませんか、信仰の創始者また完成者であるイエスを見つめながら。」(ヘブライ人への手紙12:1~2)
一年の歩みを走り抜くために必要な四つの要素を点検しましょう。
①過去のデータ。
11章に記されている旧約の聖徒たちは、皆信仰によって困難な生涯を走り通しました。目に見えるものではなく神の言葉を信じて歩むことを過去のデータは指し示しています。
②身支度。
「すべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて」(1)走り抜くためには、不必要なものは捨てるべきです。過去の栄光も、過去の失敗も神にお委ねし神に期待して新たに出発するのです。
③指導者に従う。
「イエスを見つめながら」走り抜くためには、主イエスという素晴らしい指導者から目を離さないことです。そのために集会を守り、日々に御言葉と祈りによって歩むことです。
④ゴールを目指して。
信仰生涯の最終ゴールは御国ですが、日々の歩みにおいては「信仰がなければ、神に喜ばれることはできません」(11:6)。神に喜ばれる歩みこそ目指すべきゴールです。