「共におられる救い主」ルカによる福音書 2章39〜52節

2018121日 礼拝 岡田順一牧師

 

「イエスは言われた。『…わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか』」(ルカによる福音書2:49

 

 

①救い主と共に歩む幸い。

イエス様が十二歳になり、両親と共に過越祭に行った時、両親はイエス様を見失ってしまいました。母マリアは見つけだしたイエス様に「お父さんもわたしも心配して捜していたのです」(48)と言いました。「心配して」と同じ原語は「炎の中でもだえ苦しんでいます」(16:24)の「もだえ苦しむ」で「地獄の責め苦」を表す言葉です。イエス様を見失うということは地獄の責め苦にあう程のことなのです。インマヌエル(神は我々と共におられる)なるイエス様と共に歩むことは幸いです。

 

②救い主と共なる成長。

「イエスは知恵が増し、背丈も伸び、神と人とに愛された」(52)

イエス様は霊的成長において「神と人とに愛されました」。これは私たちも目指すべき成長です。

「両親に仕えて」(51)

隣人に仕える生き方こそ人に愛される秘訣です。

「自分の父の家にいるのは当たり前だ」

礼拝厳守、神から託された自分の使命を果たすことこそ神に用いられ愛される秘訣です。