2022年9月25日 礼拝 岡田順一牧師
「神の愛を知る幸い」イザヤ書 49章14〜17節
「女が自分の乳飲み子を忘れるだろうか。自分の胎内の子を憐れまずにいられようか。たとえ、女たちが忘れても私はあなたを忘れない。見よ、私はあなたを手のひらに刻みつけた。」(イザヤ書49:15〜16)
①失意に対する神の愛。
「主は私を見捨てられた。」(14) 見捨てるとは、記憶からなくなる、意味です。捕囚に苦しむ民は創造主から見捨てられ生まれてきた意味さえも見失う失意の中にいました。その民に対して神は「私はあなたを忘れない。」と言われました。
②弱き者に対する神の愛。
「乳飲み子を忘れるだろうか。」「乳飲み子」とは最も弱い存在です。主イエスは「飼い葉桶に寝ている乳飲み子」(ルカ2:12) でした。最低の所に最弱の存在として誕生されました。それは私たちの弱さを理解し、愛するためでした。
③神の愛の確かさ。
「憐れまずにいられようか。」憐れむとは我を忘れるほどの愛です。「私はあなたを手のひらに刻みつけた。」刻みつけられた手のひらとは、血にまみれた十字架の主の手です。独り子の命を犠牲にするほどに神の愛は確かに注がれています。
2022年9月18日 召天者記念礼拝 岡田順一牧師
「切られても生きる木のように」ヨブ記 14章1〜17節
「木には望みがある。たとえ切られても、また芽を出し その若枝は絶えることがない。」(ヨブ記14:7)
①人生のはかなさ。
「人間は その人生も短く、苦悩に満ちている。」(1)「業を主に委ねよ。そうすれば、あなたが計らうことは堅く立つ。」(箴言16:3) 人生のはかなさを認めて、人生における計画を主に委ねる時、主が私たちの人生を最善に導いてくださいます。
②死の現実に向き合う。
「人間は死ねば横たわる。人は息絶えれば、どこにいるのか。」(10) ヨブは、死の現実に向き合い、死後において自分が「どこにいるのか」主に問いました。私たちも死の問題を避けるのではなく、私たちを創造された神に聞くべきです。
③復活を願う祈り。
「私のために境界を定め 私を覚えていてください。」(13) とヨブは祈りました。「越えることのできない境界をあなたは設けます。」(5) 境界とは永遠の命に生きる人と永遠に滅びる人の境界です。「私を覚えていてください。」とは「私を思い出してください」(ルカ23:42) と祈って救われた犯罪人と同じ祈りをささげられました。その結果、切られても生きる絶えない命を受けました。
2022年9月11日 礼拝 岡田順一牧師
「成し遂げられた救い」イザヤ書 48章17〜22節
「バビロンから出よ、カルデアから逃れよ。喜びの声をもって告げ、聞かせよ。地の果てまで響き渡らせよ。『主はその僕ヤコブを贖われた』と。」(イザヤ書48:20)
「バビロンから出よ」との出バビロン宣言の意味を学びましょう。
①この宣言は救いが成し遂げられたことの証し。
「バビロンから出よ」と神が言われるからには、救いが成し遂げられたことを意味する。「その過ちは償われた。」(40:2)「イエスは…『成し遂げられた』と言い、頭を垂れて息を引き取られた。」(ヨハネ19:30)
②この宣言は実際にバビロンから出ることによって成し遂げられる。
「バビロンから出よ」との神の言葉を信じて従うことによって救いは成し遂げられました。「イエスは、『もし信じるなら、神の栄光を見ると言ったではないか』と言われた。」(ヨハネ11:40)
③宣言の目的。
「喜びの声をもって告げ、聞かせよ。地の果てまで響き渡らせよ。『主はその僕ヤコブを贖われた』と。」(20) この宣言の目的は神の民が解放され祖国に戻るだけではなく、解放された人々がその救いの事実、その喜びの証人となるためでした。
2022年9月4日 礼拝 岡田順一牧師
「人生の結末を知らない不幸」イザヤ書 47章1〜7節
「『私はとこしえに女王だ』とあなたは言い このことを心に留めず その結末に思い至らなかった。」(イザヤ書47:7)
①バビロンの犯した罪。
「おとめである娘バビロンよ」(1) とは、自らを負けた経験のない国とする高慢さが表現されています。さらに捕囚の身の上となったイスラエルの民に「彼らに憐れみをかけず 年老いた者に非常に重い軛を負わせた。」(6) このバビロンに対して神は「私は復讐し、一人も容赦しない。」(3) と言われました。
②罪人の結末。
「『私はとこしえに女王だ』とあなたは言い このことを心に留めず その結末に思い至らなかった」(7)「命の書に名が記されていない者は、火の池に投げ込まれた」(黙示録20:15) 高慢となったバビロンの人々はその罪の結末を知りませんでした。
③終りを終らせたキリスト。
「私たちの贖い主、その名は万軍の主。」(4) バビロンの人々は罪の結末、人生の終りを知らない不幸な人々でした。「イエスは…『すべてが終った』と言われ、首をたれて息をひきとられた。」(ヨハネ19:30口語訳) キリストが全人類の救いのために十字架にかかられ、罪人の終りを終らせてくださいました。
2022年8月28日 礼拝 岡田順一牧師
「信仰への招き」イザヤ書 45章20〜25節
「地の果てのすべての者よ 私を仰ぎ、救われよ。私は神、ほかにはいない。」(イザヤ書45:22)
①すべての人の救いを願う神。
「地の果てのすべての者よ 私を仰ぎ、救われよ。」(22) 神は、地の果てのすべての者、全人類に対して「救われよ」と、救いを願っておられます。「神は、すべての人が救われて、真理を認識するようになることを望んでおられます。」(テモテ一2:4) すべての人の救いは神の御心です。それは真理を認識するためです。真理とは本物のことです。偽物に惑わされるのではなく、本物を見つめて生きる人生を神は望んでおられます。
②信仰によって救う神。
「私を仰ぎ、救われよ。」(22) すべての人に神は信仰によって救われることを告げました。「あなたがたは恵みにより、信仰を通して救われたのです。」(エフェソ2:8) 信仰による救いこそ聖書全巻のメッセージです。「仰ぐ」とは目を転じることです。今見ている常識の世界、学んだ世界、経験した世界では理解出来ない罪の問題、死後の問題、それを目に見えない神に目を転じて仰ぐ時、そこにすべての解決を見出すことが出来ます。
2022年8月21日 礼拝 岡田順一牧師
「神に立ち帰る恵み」イザヤ書 44章21〜28節
「私はあなたの背きの罪を雲のように 罪を霧のようにかき消した。私に立ち帰れ。私があなたを贖ったからだ。」(イザヤ書44:22)
①神の愛による救い。
神は私たちを愛して救われます。「私はあなたを形づくった。」(21) 神はご自身の作品である私たちを愛してくださいます。「あなたは私に忘れられることはない。」(21) 神は愛する私たちを、どのような時にも忘れられることはありません。
②罪の赦しによる救い。
「私はあなたの背きの罪を雲のように 罪を霧のようにかき消した。」(22)「罪を犯す国、重い過ちを負う民…彼らは主を捨て イスラエルの聖なる方を侮り、背を向けた。」(1:4) 神を捨て、神を侮り、神に背を向けることは神に罪を犯すことです。神抜きの生活の現実を認める人を神は救われます。
③神に立ち帰る人の救い。
「私に立ち帰れ。私があなたを贖ったからだ。」(22) キリストの十字架による贖いの業によって全人類に救いの道が開かれました。その救いを手にするためには神に立ち帰ることです。神と共に歩む生涯こそ私たちの帰るべき場所です。
2022年8月14日 礼拝 岡田順一牧師
「聖霊降臨の約束」イザヤ書 44章1〜8節
「私は乾いた所に水を 乾燥した土地に流れを注ぐ。私はあなたの子孫に私の霊を あなたの末裔に私の祝福を注ぐ。」(イザヤ書44:3)
①乾いた魂に注がれる聖霊。
「私は乾いた所に水を 乾燥した土地に流れを注ぐ。」(3) 聖霊は乾いた魂に注がれます。主イエスは、「天の父は、求める者に聖霊を与えてくださる。」(ルカ11:13) と言われました。自分の魂に乾きを自覚し、主に求める時、聖霊は注がれます。世界も乾いています。しかし祈り求めますなら、聖霊の豊かな注ぎによって大いなる恵みを期待することが出来ます。
②内側に働きかける聖霊。
「あなたは私を呼ばなかった。…あなたは実に私を疲れさせた。」(43:22) この時代の民の霊的現状は、主の名を呼んで祈ることをせず、主の言葉に従わず、主を疲れさせていました。その民に「私はあなたの子孫に私の霊を あなたの末裔に私の祝福を注ぐ。」(3) と主は約束されました。「私の霊をあなたがたの内に授け、私の掟に従って歩ませ、私の法を守り行わせる。」(エゼキエル36:27)聖霊は内側に働き、喜んで従う力を与えます。
2022年8月7日 礼拝 岡田順一牧師
「新しいことを行う神」イザヤ書 43章16〜21節
「見よ、私は新しいことを行う。今や、それは起ころうとしている。あなたがたはそれを知らないのか。」(イザヤ書43:19)
①過去に学ぶ。
「私は新しいことを行う。」(19) と言われた主は、16,17節において出エジプトという過去の出来事を民に思い出させました。特に「灯心の火を消すように消滅させた方」と、出エジプトを成し遂げられた方に目を向けさせました。私たちが過去に学ぶとは、神が今日までしてくださった恵みを学ぶことなのです。
②過去にとらわれない。
「先にあったことを思い起こすな。昔のことを考えるな。」(18) とは、過去に学び感謝しつつも、そこにとどまるのではなく、その経験を活かして、次に主がしてくださる新しい恵みに期待し、繋げていくことを主は願っておられるのです。
③新しいことを行う神を信じる。
イザヤの新しいこととは、やがて起こるバビロン捕囚からの解放でした。さらに神は、救い主を通して全人類の罪の奴隷からの解放という新しいことを計画していました。今日の私たちは、すでに来られた救い主によって愛する人の救いという新しいことの行われることを信じましょう。
2022年7月31日 礼拝 岡田順一牧師
「僕としての証人」イザヤ書 43章8〜15節
「あなたがたは私の証人 私が選んだ私の僕である-主の仰せ。あなたがたが私を知って、信じ それが私であると悟るためである。」(イザヤ書43:10)
①神の証人の資格。
「あなたがたは私の証人 私が選んだ私の僕である」(10) 神の証人は第一に神に選ばれた者です。神に選ばれた者とは神の愛を知っている人です。第二に神の僕です。僕の模範はキリストです(マタイ20:28)。自分は消えてもキリストが証しされればそれで満足する人こそ、神の僕であり、神の証人なのです。
②神の証人の知識。
「あなたがたが私を知って、」(10) 神を結婚生活、日常生活において知ることです。日常生活において愛せない人を愛せるようにと、神に祈った結果、愛せるようになった、そのような日常生活における神の知識を持つ人こそ神の証人です。
③神の証人のメッセージ。
「ほかに神はいない。…私が神である。」(12) 神の証人は第一に主なる神こそ唯一の神であると証言する人です。「私のほかに救う者はいない。」(11) 神の証人は第二に救いの道はキリストを信じる以外にはないことを証しする人です。
2022年7月24日 礼拝 岡田順一牧師
「あがなわれた私たち」イザヤ書 43章1〜7節
「あなたを創造された方 イスラエルよ、あなたを形づくられた方 主は今こう言われる。恐れるな。私があなたを贖った。私はあなたの名を呼んだ。あなたは私のもの。」(イザヤ書43:1)
①贖いによる救い。
贖いとは代価を払って買い戻すことです。人間は罪を犯して罪の奴隷でしたが、神は独り子イエス・キリストをこの世に遣わし、私たちがつけられるべき十字架に身代わりとしてつけ命を捨ててくださいました。神の独り子の命という貴い代価を払って全人類に対して罪赦され救われる道を開かれました。
②贖いの動機。
神が犠牲を払って贖いをなさった第一の動機は私たちが神の作品だからです。第二は私たちを神の家族とするためです(1)。神の作品であり、神の家族としようとする神の動機は、「私はあなたを愛するゆえに」(4) と言われる神の愛なのです。
③贖いの効力。
「私があなたを贖った。私はあなたの名を呼んだ。」(1) 完了形で言われています。贖い続けている。名前が呼ばれ続けている。ルカ15章の放蕩息子を父である神は待ち続け、愛し続けていました。私たちが信じますなら贖いの効力は永遠です。
2022年7月17日 礼拝 岡田順一牧師
「僕である救い主」イザヤ書 42章1〜9節
「見よ、私が支える僕 私の心が喜びとする、私の選んだ者を。私は彼に私の霊を授け 彼は諸国民に公正をもたらす。」(イザヤ書42:1)
①神を喜びとする僕。
「私が支える僕」(1) とはやがて来られる救い主であり、私たちへの神の期待でもあります。主イエスが受洗された時「『あなたは私の愛する子、私の心に適う者』と言う声が、天から聞こえ」ました(ルカ3:22)。主イエスこそ僕である救い主であり、私たちも神の心を常に喜びとするなら神の僕なのです。
②神の言葉を語る僕。
「彼は諸国民に公正をもたらす。」(1) 主イエスが姿変わりした時「雲の中から、『これは私の愛する子、私の心に適う者。これに聞け』と言う声がした。」(マタイ17:5) 真の救い主に聞くことが命じられました。神の言葉に従う人こそ神の僕です。
③全人類を愛する僕。
「傷ついた葦を折らず くすぶる灯心を消さず」(3) 真の救い主は役に立たないと思う人をも愛して用いてくださいます。「公正を勝利に導くまで 彼は傷ついた葦を折ることもなく」(マタイ12:20)御国の勝利に至るまで愛してくださいます。
2022年7月10日 礼拝 岡田順一牧師
「あなたを助ける神」イザヤ書 41章10〜20節
「恐れるな、虫けらのようなヤコブ イスラエルの人々よ。私はあなたを助ける-主の仰せ。あなたの贖い主はイスラエルの聖なる方。」(イザヤ書41:14)
①選びにおける神の助け。
「私はあなたを選び、拒まなかった」(9) 神は私たちを助けられる価値がある者として選ばれました。主イエスも「私があなたがたを選んだ。」(ヨハネ15:16) と言われました。この主の選びの基準は神に愛されていることです(ヨハネ一4:9~10)。誰でも神に愛されているので求めるなら神に助けられます。
②価値無き者を助ける神。
「私が選んだヤコブ」(8) を神は、「虫けらのようなヤコブ」(14) と言われました。「私はあなたを新しく鋭い歯の付いた脱穀板とする。」(15) 虫けらのように価値無きヤコブを神は価値あるヤコブに変えて助けてくださいます。
③神による永遠の助け。
「私は…助け 私の勝利の右手で支える」(10) 勝利とは義とするという意味があります。私たちの内なる問題である罪、汚れに対して神は罪を赦し、汚れをきよめる助けの御手を伸ばして、永遠の滅びから私たちを助けてくださいます。
2022年7月3日 礼拝 岡田順一牧師
「あなたと共にいる神」イザヤ書 41章1〜10節
「恐れるな、私があなたと共にいる。たじろぐな、私があなたの神である。私はあなたを奮い立たせ、助け 私の勝利の右手で支える。」(イザヤ書41:10)
①歴史を貫く神による救い。
「誰が東から勝利を奮い起こし」(2) 東からの勝利とは、イスラエルの民を苦しめるバビロンに対してクロス王率いるペルシャ帝国の勝利の預言です。クロス王は勝利を経て民に解放令を告げました。「誰がこれを行い、実行したのか。…主である私が」(4) 主なる神がクロス王を用いて、民を解放に導いたのです。私たちの信じる神は歴史を支配するお方です。現状がどうであっても歴史の支配者に祈る時、御手が動かされます。
②共におられる救い主。
「恐れるな」主が共におられるなら第一に恐れから解放されます。「恐れるな…あなたがたのために救い主がお生まれになった。」(ルカ2:10~11)「たじろぐな」第二に自分の弱さを克服出来ます。「神が味方なら、誰が私たちに敵対できますか。」(ローマ8:31)「助け…支える。」第三に常に希望があります。完了形で神による将来にわたる助け、支えが保証されているのです。